家に到着すると、すでに託生は帰宅していた。
ドアを開けると、明かりがついている。

「ギイ、お帰り」

すぐに託生がホールまで出迎えてくれる。
すでにシャワーを浴びたのだろう。パーティの余韻はなく、柔らかな生成の部屋着を身につけている。
ただその表情は、明らかにいつもとは異なって、青ざめ、こわばっていた。
その理由を、自分は知っている。 
いつもより、サボンの香りが強く漂うのも・・・サミュエルという見知らぬ男にに触られたと託生が思っているためだろう。
そう考えると、罪悪感がいや増してくる。早く、誤解・・・いや酷い嘘の真相を伝えなければいけない。

「託生、あのな・・・その、」

己の過ぎたいたずらをどう言い出そうかと言い淀むと、託生が突然頭を下げた。

「ギイ、ごめんっっ」
「え?託生、どうした?」

突然のことにぎょっとして、述懐しようとしていた全てが頭から飛ぶ。いったい何事か。
託生は、うつむいたまま続けた。

「ギイ、僕達、・・・わ、別れよう」
「託生!?」

心臓が跳ね上がった。
今、託生はなんと言ったか。・・・別れよう・・・だと?

「なに・・・」
「別れよう」

思わずすがるように、両手が出る。
託生の肩をつかんで、無理矢理顔を上げさせて、息を呑んだ。

そこにあったのは、涙がぽろぽろとこぼれてゆく切ない表情。

「託生、だめだ。それは聞き入れられない。絶対に」

絶対の否定を告げるために強く首を振って、拒絶する。
思考回路が混線している。
託生は泣きながら訴えてきた。

「ギイ、僕、甘かったんだ。君とずっとこうしていられると思ってた。ようやくまた逢えて、今度はずっと離れずにもう二度と・・・だけどこのままじゃ、僕は君の足枷になってしまうかもしれない!足枷どころか、いつか君を命の危険にさえ、さらしてしまうかも」

いきなり別れを告げられて呆然としていたが、足枷と言われて、はっとした。
託生がこんなことを言い出したのは、パーティでの出来事、サミュエルが託生を脅したことに起因するに違いない。
己の浅はかな行動の結果がこんな極端な形で出てしまうなど、なぜ予測の一つもできなかったのか。
いや、そもそもあれは計画などと言うものではなく、ほぼ衝動的な行動だった。意味の分からない激情に駆られた愚かな自分の。

「違う、託生、それは違う」
「違わない!今日僕は君をあやうく危険にさらすところだった!これ以上どうやって君を守ればいいか分からないんだ!!しかも・・・”あの男”は僕を・・・」

託生は、口を挟む隙もなく一気に言い募ると、己を己の二本の腕で抱きしめた。

「僕がこんなだから」
「違う!託生、本当に違うんだ」

たまらずその上から託生を抱きしめた。

「ギ、ギイ・・・僕、僕ね、他の男にっ!」
「許してくれ託生!違うんだ!サミュエルは俺だ!」
「何が違うんだよ、・・・って・・・・え・・・?なんでギイがその名を・・・」

託生が腕の中で体を動かして見上げてくる。
見張った涙の残る両目には、悔恨する男のひどい顔が映っている。

「サミュエルって・・・彼がギイ・・・?え、でも・・・声が。それに、ギイ、今日は仕事って、パーティには参加できないって」
「ごめん・・・。本当は、いないはずのパーティ会場にいて、変装してちょっとおまえを驚かすつもりだった。あんな脅すようなこと、するつもりじゃなかった」
「・・・サミュエル・クロカワと名乗ったあの自称ジャーナリストは、ギイだったというの?」
「そうだ。おまえを、脅して、体を・・・誓ってあそこで最後まで奪うつもりはなかった。途中で種明かしするつもりだった。・・・なのに、途中からエスカレートした。止まらなくなった・・・理性を、失った」
「ギイ・・・どうして・・・」

信じられないと言うように、託生がゆるりと首を振る。その動作が、スローモーションのように見えた。 
当然だ。
なぜ、愛し愛されている恋人同士が、なぜわざわざ他人の振りをして乱暴を働くようなまねをする必要があるのか。
そんな馬鹿なこと、理解不能に決まっている・・・。

「軽蔑しろ、託生。俺はお前を試したんだ。俺が危機に晒されている状況で、お前がどんな風に俺を守ろうとするのか、俺は見ていたんだよ。卑怯者だ・・・本当に、すまない・・・すまない」
「じゃあ、あの男は、あれは、ギイだったんだ、ね?」
「ああ」

託生は体を離した。
まっすぐに、互いに向き合う。
殴られ、罵られることを想定した。いや、むしろ殴られたかった。怒ってほしかった。バカなことをしでかした代償としては、ぜんぜん足りない。
でも別れたくない、絶対に。それだけはできない。たとえ呆れ果てられても、別れてやれない。

「別れたいって言われても仕方のないことをして、お前を傷つけた。だけど、別れたくない!別れないでくれ、なんでもするから!頼む、託生、お願いだ」

託生の右手が挙がった。きっとあれが、自分の左頬に飛んでくるのだろう。
目を逸らさずその時を待った。
とにかく託生に罵られても何をされてでも、託生をつなぎ止めなければいけない。
別れようとまで思い詰めさせてしまった、その償いをしなければならない。

おそるおそる手を伸ばした託生の手は、想定どおり俺の左頬に触れた。
だが、それは激しい打擲などではなく、羽のようにかすかな感触だった。

「ギイ。もしかして・・・不安だった?」

予想外の託生の行動に固まっていたところに掛けられた言葉。
言い当てられた、本当の気持ち。
常につきまとっている不安感。・・・その通りだった。

「ああ・・・ああ、そうだ・・・その通りだ、託生。おまえの言うとおりだ」

左手で託生の手を覆って頬を押しつけた。

「いつか、お前が俺から離れるんじゃないかって・・・俺は毎日不安だよ。今だって、不安だ・・・」

自分しか知らないはずだった託生の魅力、美しさ、優しさ。
その全てが、外の世界へ向けて解放されていく。多くの人間がその隠されていたはずの宝物に気づいてしまう。
だれもが天才バイオリニストに注目し、惹かれ、恋をする。

「それは、僕だって一緒だよ、ギイ。ギイはとても魅力的だから、僕はいつだって君の隣に立っていられるのか、いつまでこうしていられるか・・・不安だよ」
「お前を誰にも盗られたくないんだ」

託生を抱きしめる。
託生の両腕が俺の背中に回り、きつく、しがみつくように抱きついてきた。

「僕だって、ギイを盗られたくない。僕より魅力的な人なんてたくさんいる。だけど君だけは絶対に渡したくないよ!・・・だけど、君を不安にさせたのは僕だね、ごめん、ギイ。ギイ、愛してるよ、愛してるんだ。ねえ、信じてよ」

顔を上げた託生の唇が俺の唇に触れた。
たまらなくなり、そのまま貪る。
俺のだ、この人は、俺のものだ。渡すものか。俺から離れる事なんて、あり得ない。
あり得ないのに、俺たちは互いに同じ不安を抱えている。

「託生、ごめ」
「もう、謝らないで」
「だが」
「怖かったのは本当だよ。でも、ギイの不安は僕の不安だから。・・・僕だって同じことしたかもしれない」
「おまえの気持ちを信じきれなかった俺は、馬鹿だ」

託生は、こんなことは絶対にしないと思う。だけどこちらに負担をかけないために、健気に俺をこうして庇ってくれる。
託生の愛情は確かだ。疑う余地もない。

本当に、馬鹿なコトした。
だが、この結末が、最悪の結果になっていた可能性だってある。

「もし・・・本当にあんな奴が存在したら、お前はどうするんだ?また、別れるって言うのか?」
「いや、それは」
「ダメだからな。絶対許さないから。もし変な脅しがあっても、世間にどんなこと言われても、それでも、俺の傍にいてくれよ」
「・・・それがギイの不利益につながると分かっていても?もし身の危険が生じたとしても?」
「何が起こったとしても、お前が傍にいなきゃ、何の意味もないだろう?逆にお前にどんな危険が迫ったとしても、俺はきっとお前を放してやれないよ」
「うん、放さないで」
「だったら。お前も俺を放さないでくれよ、もう・・・別れるなんて、絶対に言わないでくれ」
「ごめん。あれは、別れたかったわけじゃないから」
「分かってる。でも、もう心臓が止まりそうだった」

床が抜け落ちたような感覚だった。
心臓がびりびりと震えた。

「ごめんね、ギイ、ごめん」

託生の手が、俺の背を撫でる。
謝るつもりが、結局託生に謝らせて、どうするんだ、俺は。

「いや、信じきれなかった俺が、おまえを傷つけた」

だけど。
託生にはどうしたって甘えてしまう。甘やかされたい。
サミュエルは、子供のように繰り返し繰り返し愛情を確かめたがる、もう一人の俺だ。


愛されてるって、実感したい。



愛が欲しい。



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大変お待たせいたしました~(最近出だしがこればかりですみません)
そして改めまして、あけましておめでとうございます。

新年一発目ですが・・・過熱の方もなんですが、いい加減こちらも動かさないと、
たくみ君もギイも気の毒ですので(特にたくみ君が、ですけど)
進みました!
もちろんラブラブでございます。ちなみに私は今日は休暇で、こんな昼間から更新してます(笑)
不安定なギイの気持ちを書きたかったのでこんなになりましたが
当ブログでは珍しく(?)危機的な展開のギイタクだったかな、と思います。
たくみ君からのまさかの発言もありましたし。 
なかなか相手に伝えられない不安な気持ちとか、嫉妬とか、このままでいいのかなという漠然とした戸惑いとか、そういうの一通り吐き出してほしかった、というのが今回のテーマでございました。

過熱3につきまして拍手ありがとうございました。
(にゃんこさま)
お年玉だなんて・・・そんな価値を見出していただけるような筆力ではとてもございませんが、しかし年内最後、楽しんでいただけてうれしいです!ありがとうございました。
(2016.12.31 22:43にくださった方)
ありがとうございます!
こちらこそ、2017年度も、どうぞよろしくお願いいたします!

また、しのさま、三平さま、らっきーさま、ちーさま、まちさま、柚乃さま、かなさま、rinさま、コメントありがとうございました。
2016年度は大変お世話になりました。2017年度も引き続き、ギイタクメインで、他の話題も一緒に盛り上がらせていただければ嬉しいです!もう数年来のお付き合いになる方もいらっしゃり・・・本当にありがたいです。こんな風に好きなことを受け止めてくださる方々がいらっしゃるというのは本当に素敵なことです(*´▽`*)